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日本酒の酵母:協会酵母から蔵付き酵母まで

日本酒の酵母:協会酵母から蔵付き酵母まで

酵母はアルコールを作るだけの微生物ではありません。りんごやバナナを思わせる吟醸香の正体、泡なし酵母がもたらした生産効率の変化、セルレニン耐性酵母が香りを激変させた仕組みまで、酵母の役割と育種の歴史を解説します。

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執筆: delicious sake 編集部

日本酒の酵母:目に見えない主役

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同じ米、同じ水、同じ蔵、同じ杜氏。それでも酵母を変えると、まったく違う酒になる。

日本酒を「りんごのような香り」と感じるとき、その香りを作ったのは米でも水でもなく、酵母という微生物である。しかも、酵母がその香りを出すのは人間のためではない。酵母にとっては生きるための代謝の副産物にすぎない。

その副産物を、人間は100年かけて選び、育て、設計してきた。

酵母がしている仕事

酵母は、糖をアルコールと二酸化炭素に変える単細胞の微生物だ。パンを膨らませるのも、ワインを造るのも、同じ仲間の働きによる。

ただし日本酒の場合、事情が少し複雑になる。原料の米にあるのはデンプンであって、糖ではない。酵母はデンプンを直接食べられないので、まず麹菌がデンプンを糖に分解する必要がある。

日本酒が特殊なのは、この二つが同じタンクの中で同時に進むことだ。麹が糖を作り、その傍から酵母が糖をアルコールに変えていく。これを「並行複発酵」といい、世界の醸造酒の中でも珍しい方式である。ビールのように糖化を終えてから発酵させるのではなく、糖化と発酵が並走する。

この方式のおかげで、醪の中の糖濃度は高くなりすぎず、酵母は働き続けられる。結果として、醸造酒としては高い20%前後のアルコール度数に到達できる。

麹菌が米に生育する様子

香りは、代謝の副産物である

酵母の仕事はアルコールを作ることだけではない。発酵の過程で、さまざまな香り成分を生み出す。

吟醸酒のフルーティーな香りの主役は、エステルと総称される化合物群である。なかでも代表的なのが二つ。

酢酸イソアミル——バナナやメロンを思わせる香り。

カプロン酸エチル——りんごや洋梨を思わせる香り。

どちらも、酵母が糖を代謝する過程で生じる中間産物から作られる。酵母は香りを出そうとしているわけではなく、細胞内の代謝バランスを取った結果として、こうした物質を外に出している。

重要なのは、この生成量が発酵温度に強く左右されることだ。低い温度でゆっくり発酵させると、エステルが分解されにくく、醪の中に蓄積しやすい。吟醸造りが「低温長期発酵」を原則とするのは、この性質を利用するためである。

つまり吟醸香とは、酵母の代謝と温度管理が噛み合ったときに現れる現象で、単に良い酵母を入れれば出るというものではない。

きょうかい酵母という仕組み

明治時代以降、日本の酒造りは「優れた酒を造った蔵から酵母を分離し、全国に配る」という方法をとってきた。これを担うのが日本醸造協会で、頒布される酵母が「きょうかい酵母」と呼ばれる。

番号は分離・採用された順につけられている。番号にはいくつかの規則があり、たとえば601号のように600番台の数字は、その元になった酵母(この場合6号)の「泡なし」変異株を意味する。この泡なしという性質が何なのかは、次の節で説明する。

きょうかい酵母の仕組みが優れているのは、一つの蔵の成果を全国が共有できる点にある。ある産地で生まれた優良な酵母が、番号をつけられて全国の蔵に届く。地酒は土地に根ざしているが、その中身を支える微生物は、産地を越えて流通してきた。

育種の三つの転換点

酵母は「見つける」ものから、次第に「設計する」ものへ変わってきた。その流れを大きく三つに分けて見てみたい。

第一の転換:泡なし酵母(1970年代)

発酵中の醪は、激しく泡立つ。液面よりはるかに高く盛り上がる「高泡」が立ち、タンクから溢れさせると発酵が乱れてしまう。そのため蔵は、タンクに大きな余裕を残して仕込まざるを得なかった。泡笠や泡消器といった道具も必要で、泡の管理は手間とコストの塊だった。

この問題に対して、泡を立てない酵母を作るという解決策が採られた。本格的な研究は1963年に始まり、1973年(昭和48年)、大内弘造・秋山裕一によって6号酵母の泡なし変異株が分離・実用化される。これがきょうかい601号である。

効果は大きかった。同じ容量のタンクで20〜30%ほど増産が可能になり、泡笠や泡消器が不要になり、醪の日数も短縮できた。味を変える育種ではなく、製造工程そのものを変える育種だった点で、これは画期的な成果といえる。

第二の転換:香り酵母(1990年代半ば)

次に起きたのは、香りの劇的な強化である。

鍵になったのがセルレニン耐性という性質だ。セルレニンは脂肪酸合成酵素を阻害する物質で、この環境で生き延びられる変異株を選抜すると、脂肪酸の鎖長のバランスが変化する。その結果、カプロン酸エチルの生産量が劇的に増える

こうして育種されたのが、りんごのような華やかな香りを持つ「香り酵母」で、その代表格がきょうかい1801号である。低酸で、カプロン酸エチルを大量に生産し、イソアミルアルコールの生成は抑えられる。1990年代半ばに全国へ広がり、鑑評会に出品される大吟醸の香りの標準を塗り替えた。

現在、私たちが「吟醸酒らしい」と感じる華やかな香りの多くは、この系統の酵母によるものである。ただし香りが強い酵母は扱いが難しく、食事に合わせにくいという指摘もあり、あえて使わない蔵もある。

第三の転換:土地に戻る

香りの競争が一巡した後、逆方向の動きが目立つようになった。

蔵付き酵母——蔵に住み着いている野生の酵母を分離して使う試み。自社株の維持——きょうかい酵母に頼らず、自蔵で分離した酵母を守り続けるやり方。そして地域酵母——県の研究機関が独自に開発した酵母を、その県の蔵が共有する形である。

山形の山形酵母、福島のうつくしま夢酵母(F7-01)のように、地域単位で酵母を持つ産地は増えている。全国標準の酵母で技術を底上げした時代を経て、いま産地は「自分たちの微生物」に価値を見出しつつある。

飲み手として、どう見るか

酵母の情報は、ラベルや商品説明に書かれていることがある。それを手がかりに味を予測できる。

香りが強く華やかな酒を求めるなら、1801号系をはじめとする香り酵母を使ったものを探すとよい。冷やしてワイングラスのような器で飲むと性格がはっきり出る。

食事に寄り添う酒を求めるなら、6号系や7号系など香りの穏やかな酵母を使ったものが向く。料理を邪魔せず、燗にも対応しやすい。

土地の個性を味わいたいなら、蔵付き酵母や地域酵母を掲げた酒を試したい。全国標準とは違う、その蔵・その県でしか出ない輪郭がある。

もっとも、酵母だけで酒が決まるわけではない。米、水、精米歩合、発酵温度、そして造り手の判断が全部絡む。酵母は変数のひとつにすぎない。ただ、香りに関して言えば最も影響の大きい変数であることは間違いない。


酵母は、糖を食べてアルコールを出すという単純な仕事をしているだけだ。りんごの香りも、バナナの香りも、その代謝の途中で漏れ出た副産物にすぎない。

人間がやってきたのは、その副産物を見分け、増やし、扱いやすく作り替えることだった。泡を立てない酵母を作り、香りを何倍にも増やし、そして最近は自分たちの土地の酵母を探し直している。

グラスの中の香りは、微生物の生理と、それを100年観察し続けた人間の記録が重なったところに立ち上がっている。


麹の働きについては麹とは何かで詳しく解説しています。

酵母の系譜と産地の関係は日本各地の地域別日本酒スタイルもあわせてご覧ください。

参考: 日本醸造協会(きょうかい酵母)、SAKE Street「日本酒造りを支える『きょうかい酵母』とは」「日本酒造りで使う『泡なし酵母』とは?」、日本醸造協会誌(カプリル酸エチル高生産性清酒酵母の育種)、月桂冠総合研究所の公開情報

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