秋田の日本酒:現存最古の酵母と低温長期発酵の里
1930年に秋田・新政の醪から分離された「きょうかい6号」は、いま流通する最古の清酒酵母。低温長期発酵という技術体系を確立した秋田が、新政や雪の茅舎を生むまでをたどります。
秋田の日本酒:1930年の酵母が、いまも生きている
日本酒に使われる酵母のほとんどは、日本醸造協会が頒布する「きょうかい酵母」に由来する。番号で管理され、1号から順に、優れた性質を持つ酵母が全国の蔵から選ばれてきた。
そのなかで現在も頒布されている最古の酵母が、秋田で生まれている。
きょうかい6号。1930年(昭和5年)、秋田市の新政酒造の醪(もろみ)から分離された酵母である。1935年(昭和10年)から日本醸造協会を通じて全国に配られ、90年を超えていまも現役で使われ続けている。遺伝子解析の結果から「清酒酵母のEVE(原初の存在)」と呼ばれることもある。
秋田の酒を理解するには、この一点から出発するのがいい。
なぜ秋田の酵母が選ばれたのか
きょうかい酵母は、その年に特に優れた酒を造った蔵の醪から採取される。つまり6号が選ばれたということは、1930年前後の秋田が、全国の中でも高い水準の酒を造っていたことを意味する。
6号酵母の性質は、香りが穏やかで、低温でも安定して発酵を続ける点にある。爆発的な香りを出すタイプではないが、崩れにくく、酒質にきれいな輪郭を与える。この性格は、秋田の造り方と密接に関係していた。
「秋田流低温長期発酵」という技術体系
秋田の酒造技術を語るうえで欠かせない人物が、**花岡正庸(はなおか まさつね)**である。
花岡は1918年(大正7年)に仙台税務監督局から秋田県の技師として着任し、県内の酒造りの技術指導にあたった。1925年(大正14年)には専任の県技師となる。彼が体系化したのが、秋田の気候と風土に合わせた低温長期発酵の手法だった。
考え方はこうだ。秋田の冬は長く、寒い。この寒さを不利と捉えず、醪の温度を低く保ったまま、時間をかけて発酵させる条件として使う。低温で長く発酵させると、雑味の少ない、きめの細かい酒になる。同時に、酵母には低温でも失速しない強さが求められる——6号酵母の性質が生きるのは、まさにこの造り方においてである。
花岡は酵母の扱いや製麹の改良にも取り組み、杜氏や蔵人の教育にも力を注いだ。1927年(昭和2年)には秋田県工業試験場に醸造部門が置かれ(現在の秋田県総合食品研究センター)、県として技術を支える体制が整っていく。
低温長期発酵は、のちの吟醸造りの基本原則とも重なる。秋田が早い段階からこの方向に舵を切っていたことは、現在の酒質にも影を落としている。
杜氏を組織する
技術は人が運ぶ。秋田でその役割を担ってきたのが、**山内杜氏(さんないとうじ)**である。
山内村(現在の横手市山内)からの出稼ぎが起源で、農閑期の冬に各地の蔵へ入って酒を造った。1922年(大正11年)には山内杜氏養成組合が設立され、技術の伝承と人材育成が組織的に行われるようになった。
日本三大杜氏として挙げられるのは南部・越後・丹波の三集団だが、山内杜氏は秋田を代表する杜氏集団として、県内の酒造りを長く支えてきた。行政の技術指導と、杜氏集団の組織的な育成。この二本立てが、秋田の技術水準を底上げしてきた構図になる。
米、水、気候
秋田は全国有数の米どころであり、酒米も自前で持っている。
秋田酒こまちは2001年に育成された酒造好適米で、高精白に耐えるため吟醸・大吟醸向けとされる。美郷錦は「吟の精」「秋の精」に続いて県が開発した品種で、山田錦と美山錦を親に持つ。食用のあきたこまちも、蔵によっては酒に使われる。
仕込み水は、奥羽山脈や白神山地からの伏流水。ミネラル分の少ない軟水が多く、発酵が穏やかに進むため、低温長期発酵とは相性がいい。
日本海側特有の湿度も、麹づくりには有利に働く。乾燥しすぎない環境は、麹菌が均一に繁殖しやすい。寒さ・軟水・湿度という三つの条件が、秋田の造りを支えている。
味わいの傾向
秋田の酒は、旨味に厚みがあり、輪郭がやわらかい方向にまとまりやすい。
米の甘みと旨味がしっかり出て、余韻に幅がある。淡麗辛口を突き詰めた新潟とは対照的で、飲みごたえを求める人に向く。低温でゆっくり発酵させることで雑味が抑えられているため、厚みがあっても重たくならないのが特徴だ。
新政——最古の酵母を選び直した蔵
新政酒造(秋田市)は、6号酵母発祥の蔵である。
現在この蔵は、自社で使う酵母を6号のみに限定している。より華やかな香りを出す新しい酵母が数多くあるなかで、自蔵から生まれた最古の酵母だけで造るという選択をした。さらに、木桶仕込みや生酛(きもと)造りといった手間のかかる古い製法を現代的な精度で再構築し、「No.6」をはじめとするシリーズで日本酒のイメージそのものを更新した。
ラベルデザインや商品設計も含め、新政の仕事は「伝統の再解釈」として語られることが多い。ただ、その中身は懐古ではない。1930年に選ばれた酵母を、2020年代の技術と衛生管理のもとで使い切るという、きわめて現代的な試みである。
そのほかの蔵と銘柄
**齋彌酒造店の「雪の茅舎(ゆきのぼうしゃ)」**は、由利本荘市の蔵。櫂入れをしない、濾過をしない、加水をしない——引き算を徹底することで、米と発酵そのものの力を出す造りを掲げる。澄んだ味わいのなかに奥行きがある。
**秋田酒類製造の「高清水」**は、県内でもっとも日常的に飲まれている銘柄のひとつ。手頃な価格帯で品質が安定しており、秋田の食卓に定着している。
**刈穂酒造の「刈穂」**は、大仙市の蔵。山廃仕込みの超辛口で知られ、キレのある飲み口を求める層に支持されている。
**浅舞酒造の「天の戸」**は、「酒は田んぼから」を掲げ、蔵から近い契約田の米だけで醸す。原料の産地を極限まで絞るという発想の蔵である。
**日の丸醸造の「まんさくの花」**は、横手市の蔵。県花マンサクを冠した銘柄で、穏やかな香りとやわらかい味わいを持つ。
秋田の食と合わせる
旨味のある秋田の酒は、出汁の効いた料理や発酵食品のつまみと噛み合う。
きりたんぽ鍋は、つぶした米を焼いた「たんぽ」を比内地鶏の出汁で煮る郷土鍋。鶏の脂と醤油の効いた出汁に、ぬる燗の純米酒がよく合う。
ハタハタは秋田の県魚。塩焼きのほか、魚醤のしょっつるを使った鍋、飯寿司にしたハタハタ寿司など食べ方が多い。魚醤の強い旨味には、燗にした酒が受け止め役になる。
いぶりがっこは、大根を燻してから漬けた保存食。燻香と塩気があり、辛口の酒のつまみとして完成度が高い。クリームチーズと合わせる食べ方も広まっている。
温度は幅広い。吟醸系は冷やして香りを、純米系はぬる燗から上燗にして旨味を開かせる。雪国の酒は燗にして本領を発揮するものが多い。
訪ねるなら
秋田市の川反(かわばた)は県内随一の飲食街で、地酒を揃えた店が集まっている。新政の特約店も市内にある。
横手市は日の丸醸造や浅舞酒造がある酒どころで、山内杜氏の郷でもある。冬の「かまくら」行事の時期は、雪国の酒の文脈がそのまま体験できる。
由利本荘・大仙にも実力のある蔵が点在する。男鹿半島まで足を延ばせば、海の幸と合わせる飲み方が見えてくる。
秋田の酒は、寒さという条件を技術に翻訳してきた産地の産物である。低温で長く発酵させる手法を体系化し、その造りに耐える酵母を生み、それを現在まで使い続けている。
新政の「No.6」を飲むとき、そこで働いているのは1930年に分離された微生物である。90年以上前に選ばれたものが、いまも味の中心にいる——秋田の酒には、そういう時間の厚みがある。
山形の日本酒については山形の日本酒をご覧ください。
生酛・山廃造りについては生酒とはで詳しく解説しています。
参考: 秋田県酒造協同組合「秋田の酒大百科」「秋田の酒の秘密」、日本醸造協会(きょうかい酵母)、秋田県総合食品研究センター、新政酒造の公開情報